[カテゴリ: 精神世界>地球社会]
<当記事の要点>
・自分の心臓を、一体「誰が動かしている」のか?
・「自分自身ではない」のは明らか。
・「自然界が動かしている」のは、明らか。
・その自然界の「頂点に立つもの」が、本物の神様(空:くう)。
・神様と聞くと「拒絶反応を示す」のは、宗教が邪魔をしているから。
・「神様」に限らず、「自分の好きな名前で呼べば良い」。
・「頂点に立つもの」など存在しないとは、誰にも断言できない。
・「宗教上の偽神様」のことではない。
<記事本文>
自分の心臓を、一体「誰が動かしている」のか?
こんなことを、いちいち考える人は、ほとんどいません。
私自身、生まれてからずっと長い間、考えたこともありませんでした。
自分の心臓が動いているのは、当り前すぎるほど、当り前のことです。
わざわざ考える必要など、まったくありません。
だから、誰も考えません。
しかし、考える、考えないに関わらず、「自分で動かしてはいない」のは、確かです。
ここで言う「自分」とは、表面意識としての「自分」です。
もし仮に、自分の心臓を「自分で動かしている」ならば、一大事です。
夜もおちおち寝られません。
朝起きて、気が付いたら、いつの間にか「自分の心臓が止まっていた」となるのは、明らかです。
酒を飲んでひっくり返っていたら、酔いが覚めて、ふと気付くと、いつの間にか「自分の心臓が止まっていた」となるのは、明らかです。
おちおち酒も飲めません。
実際には、安心して夜寝られます。
思う存分、酒が飲めます。
自分の心臓は、「自分が動かしていない」からです。
では、一体誰が、動かしているのか?
「決まっているだろ、自分の体だ」
誰もが、そう答えるはずです。
確かに、その通りです。
では、自分の心臓を動かしている「自分の体」は、一体「誰が動かしているのか」?
「決まっているだろ、自然界だ」
誰もが、そう答えるはずです。
確かに、その通りです。
では、自分の心臓を動かしている「自分の体」を動かしている、「自然界」は、一体「誰が動かしているのか」?
「だから、決まっているだろ、自然界だよ」
誰もが、そう答えるはずです。
自然界を動かしているのが、「自然界」であるならば、その自然界を動かしているのは、一体「誰なのか」?
「だから、自然界だと言ってるだろ。しつこいな!!」
誰もが、そう怒鳴り出すかもしれません。
「どこまで行っても、切りがない論理」に見えるかもしれません。
実際には、「切りがあります」。
自然界の「最上位。究極の頂点に」神様がいると、解釈すれば良いのです。
ただし、ここで言う「神様」は、宗教上の神様ではありません。
「本物の神様」です。
宗教上の「偽神様」ではなく、「精神世界」で言われている、「本物の神様」です。
当ブログでは、それを明確に区別するために、「神様(空:くう)」という、奇妙な表現を、あえて行っています。
本当は、精神世界で徐々に広まりつつある、「空」という端的な表現をしたいのですが、それでは、大多数の人々に分ってもらえないので、やむなく「神様(空:くう)」の表現をしています。
「空:くう」の「くう」は、もちろん「ふりがな」を表しています。
紙の上の印刷物ならば、漢字の上に、小さな文字で「ふりがな」を振ることができます。
インターネット上では、それがほとんど不可能なので、「ふりがな」の代用品として、「:くう」という、変則的な表現をやむなく行っています。