JAL123−急減圧流は存在しないと「事故調は認識している」(12)
2016-04-10


本来ならば「推定する必要はない」と、容易に理解できるはずです。

墜落現場で、「プレッシャ・リリーフ・ドア」を発見した時に、当然ながら、「目視」します。

その結果、ドアが「開いている」、あるいは「閉じている」と、誰でも、一発で容易に分ります。

開いているか、閉じているか、「推定する必要は、まったくありません」。

推定するべき、筋合いのものでは、ありません。

「プレッシャ・リリーフ・ドア」が開いていないからこそ、それを隠すために、墜落現場で発見した時、「開いていたかどうかについて、まったく言及しなかった」と、解釈できます。

意識的に言及しなかったために、「引用H」では、本来ならば、推定ではなく、開いていたか、閉じていたか、「どちらであるか言明するべき」ところを、ことさら「推定される」と、ごまかさなければ、ならなくなったわけです。

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もし仮に、「プレッシャ・リリーフ・ドア」が、胴体部と分離し、単独で発見された場合は、話が別です。

この場合、ドアが開いていたか、閉じていたか、判別のしようがありません。
ただし、事故調査報告書に、その旨、明記するのが当然です。

その上で、綿密な調査分析を行い、いわゆる「ドーンという音」が生じた時、ドアが開いたのか、閉じていた(開かなかった)のか、どちらなのかを判断する必要があります。

この場合ならば、最終的な結論が「推定であるのは、当然」とも言えます。

ところが、事故調査報告書は、そのような論理展開には、なっていません。

「プレッシャ・リリーフ・ドア」は、「胴体部と分離していない」と、解釈せざるを得ません。

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(分析I、に対する結論)(トリック8、に対する結論)

(1)「プレッシャ・リリーフ・ドア」が、墜落現場で発見された時、ドアが「開いていたか、閉じていたか」、事故調査報告書は、まったく言及していない。
本来ならば、これは、きちんと言及するのが当然。

(2)ドアが閉じていたからこそ、それを隠すために、わざと言及しなかったと、解釈せざるを得ない。

(3)もし仮に、「プレッシャ・リリーフ・ドア」が、胴体部と分離し、単独で発見された場合も、その旨、事故調査報告書で言及するのが当然。

(4)その上で、綿密な調査分析を行い、ドアが開いていたのか、閉じていたのか、判断(推定)する必要がある。

(5)ところが、事故調査報告書には、そのような論理展開は存在しない。
「プレッシャ・リリーフ・ドア」は、「胴体部と分離していない」のは明らか。

(6)上記(1)(2)のために、「プレッシャ・リリーフ・ドア」に関する結論で、つじつまが合わなくなり、「ドアは開いたものと推定される」と、ごまかす必要が生じた。

(7)ドアが開いていないならば、急減圧流は存在しない。

(8)事故調は、急減圧流が生じていないと、「認識している」。

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<長文のため、第13回目に続きます>

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