「精神世界」の分野では、深く探究するほど、話の内容が「宗教に似てきます」。しかし、宗教とは、異なります
2017-08-24


ただし、今でも、「哲学」としては、使い物になります(笑)。

一方、「人間とは何か?」という面から、「地球を含む、宇宙の真理」を探究するという、一番肝心な点では、使い物になりません。

そのため、哲学の専門家が、「精神世界」を熟知しているかというと、そんなことは「あり得ない」と言えます。

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このように、「精神世界」の分野で、宗教にまつわる話が、いくら登場しても、毛嫌いする必要はありません。

一方、「やはり、宗教は正しい」と思うのも、早とちりです。

宗教にまつわる話は、「精神世界」における、本当の真実を知るための、「数ある情報の一つ」と受け止めるのが、適切なやり方と言えます。

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以前、「精神世界のカテゴリ」で、以下の記事を掲示しました。

(既存の記事)
『常識を大幅に超越する「精神世界」の理解には「三つの箱」が必要』
2015年12月29日
http://21utbmjdai.asablo.jp/blog/2015/12/29/7964736

一部を引用します。

※ 長めの引用です。

(引用B)
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……、「常識から大幅にかけ離れている」精神世界を理解するためには、「三つの箱」を用意するのが、ぜひとも必要です。

第1の箱: 「とにかく入れておく箱」
第2の箱: 「一応、分った箱」
第3の箱: 「分らない箱」

この「三つの箱」を、自分の頭の中でも、心の中でも、どこでも良いから「用意します」。

そして、精神世界に関する話を聞いたら、あるいは本で読むなりしたら、正しい、正しくない、信用できる、信用できない、…… 等々、判断せずに、「取りあえず、第1の箱(とにかく入れておく箱)にすべて放り込み」ます。

その上で、「これは真実だ」、あるいは「真実かもしれない」と思えるようになったら、改めて、「第2の箱(一応、分った箱)」に、移し替えます。

逆に、これは「ウソだろう」、あるいは「信用できない」と思えるようになったら、「第3の箱(分らない箱)」に、移し替えます。

こうやって、新たな話に接するたびに、まずは、「第1の箱」に放り込み、それなりに判断がついたら、「第2の箱」、あるいは「第3の箱」に移し替えます。

これを、何度も、何度も繰返して行けば、「常識から大幅にかけ離れている」精神世界の話が、自分なりに、少しずつ理解できるようになります。

ここで「非常に大事」なのは、「第2の箱」および「第3の箱」の内容は、決して「固定したものではない」と、明確に認識する必要があります。

自分なりに、理解が進んでくると、以前は、「真実だと思っていた」ことが、「真実ではなかった」と、新たに理解できる場合が、少なくありません。

それと同様に、「真実ではない」と思っていたことが、後になって、逆に「真実の可能性がある」と、新たに理解できる場合も、少なくありません。

このように、理解の状況が変わった場合は、迷わず、速やかに、「第2の箱」と「第3の箱」との間で、「箱を移し替える」必要があります。
結果的に、一つの事柄が、二つの箱の間を「何度も行ったり、来たりしても」差し支えありません。

これをやらないと、「精神世界ならではの『ガチガチの石頭人間』に陥る」危険性が生じます。

(中略)


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